大学に入ってからは学内の知り合いとファンクバンド・学外ではフュージョンバンドを組んだ。両方ともスラップ(ここの時期ぐらいからチョッパーではなくスラップというのが一般的になっていた)三昧なジャンルである。
軽音楽部には100名近い部員がいたがハードロックをする人ばかりであった。ファンクやブルースをやる人は少数派だった。当時はスライアンドファミリーストーンやグラハムセントラルステーションなどをコピーしたものである。最近グラハムセントラルステーションの曲のフレーズを弾いてみたりしたのだが今でもちゃんとは弾けないところに進歩のなさを感じるのであった。
学外では雑誌のメンバー募集記事を見て参加させてもらったフュージョンバンドでカシオペアやスクエアのコピーなどをしていた。このときにカシオペアの現ベーシスト・ナルチョ(鳴瀬喜博氏)にはまった。タッピングでぺろぺろ、コード弾きでじゃかじゃかなどミーハーなことをやっていた。大学を卒業するとファンクバンドは自然消滅したのであるが、社会人になってからもこのフュージョンバンドは続いた。
ジャズのスタンダード曲(枯葉とかTake Fiveとか)をやったりもした。ライブも数ヶ月に一度するような完全アマチュア指向でありそれが長続きした要因だろう。ところがメンバーそれぞれ仕事が忙しくなった7年目に自然消滅してしまった。ほぼ毎日ベースを弾き、ベースを抱いたまま寝るようなことをしていたわたしであるが、それからはぜんぜんベースを触ることもなくなったのである…。
その3年後に再びベースを弾き始めることなるのであるのであるが、この続きは明日の日記にて語られる!(時間がなくて右の絵には彩色されていなのだ…)
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