なおちー絵日記

2004/08/12 回顧録その6

大学に入ってからは学内の知り合いとファンクバンド・学外ではフュージョンバンドを組んだ。両方ともスラップ(ここの時期ぐらいからチョッパーではなくスラップというのが一般的になっていた)三昧なジャンルである。

軽音楽部には100名近い部員がいたがハードロックをする人ばかりであった。ファンクやブルースをやる人は少数派だった。当時はスライアンドファミリーストーンやグラハムセントラルステーションなどをコピーしたものである。最近グラハムセントラルステーションの曲のフレーズを弾いてみたりしたのだが今でもちゃんとは弾けないところに進歩のなさを感じるのであった。

学外では雑誌のメンバー募集記事を見て参加させてもらったフュージョンバンドでカシオペアやスクエアのコピーなどをしていた。このときにカシオペアの現ベーシスト・ナルチョ(鳴瀬喜博氏)にはまった。タッピングでぺろぺろ、コード弾きでじゃかじゃかなどミーハーなことをやっていた。大学を卒業するとファンクバンドは自然消滅したのであるが、社会人になってからもこのフュージョンバンドは続いた。

ジャズのスタンダード曲(枯葉とかTake Fiveとか)をやったりもした。ライブも数ヶ月に一度するような完全アマチュア指向でありそれが長続きした要因だろう。ところがメンバーそれぞれ仕事が忙しくなった7年目に自然消滅してしまった。ほぼ毎日ベースを弾き、ベースを抱いたまま寝るようなことをしていたわたしであるが、それからはぜんぜんベースを触ることもなくなったのである…。

その3年後に再びベースを弾き始めることなるのであるのであるが、この続きは明日の日記にて語られる!(時間がなくて右の絵には彩色されていなのだ…)

2004/08/11 回顧録その5

高校一年生の学園祭の季節になった。同じクラスのAちゃん・Bちゃん・Cちゃんと組んだバンドの初お披露目である。

同じクラスの子や軽音楽部の先輩・友達が見に来ていた。レベッカとプリプリの曲を2曲程演ってメンバー紹介のときがやってきた。ちょこっとしたソロまわしを演ったりするアレである。

この瞬間の為にタッピングとチョッパーを練習してきたわたしは「ぺろぺろんぺんぺ」と恥ずかしげもなく演ってしまったのである!周りからは歓声の声が上がる。当時高校生でチョッパーをやる人はすくなかったのだ。むふふふと内心ほくそ笑んでいた。

自分達の演奏が終わった後も反応がよかった。「なおちー上手いんだねー」とか「うちのバンドでベースしてよ」ともてはやされた。今考えるとあの頃はぜんぜん上手くなかったし人に見せられるようなソロじゃなかった気もするが、ハッタリが効いたのであろう。後日、同じ学区の他の高校でもわたしのことが噂になったということを聞いてびっくりしたものである。しかしながらチョッパー奏法が使える曲は他のパートが難しいものが多く、ライブではソロコーナー以外での活用はできなかったのがちょっと寂しかったものである。

しかし大学に入ってからはチョッパー大活躍のディープな洋楽の世界にはまっていく事になるのである。(つづく)

2004/08/10 回顧録その4

「チョッパーって知ってる〜?」

Bちゃんのこの囁きがわたしの音楽性をガラリと変えてしまうのであった。Bちゃんに教えてもらったチョッパー奏法(今はスラップ奏法というのが一般的)を見よう見まねでやっているうちにプリングだけはできるようになった。今思えばBちゃんの教えてくれたチョッパーのやり方がうそ臭かったのは秘密である。

なかなかサムピングができなかったのであるが、後日Bちゃんが教えてくれた「江川ほーじんさん」というベーシストの奏法にヒントを得ることによりあっさりできるようになったのだ。

よく見聞きするサムピングにおけるコツであるところの「空手の突きのように素早く叩いて素早くひっこめる」といった風に親指で弦を叩く方法には馴染めなかった。しかし「江川ほーじんさん」という人は親指をひっこめずに振りぬいていたのだ!真似てみるといとも簡単にサムピングの音が鳴るのであった。

なんとかチョッパー奏法を会得した私は軽音楽部の中で一目置かれる存在になったのである(まだまだ続く。右の絵は江川ほーじんさんである)

2004/08/09 回顧録その3

「ドラムセットは値段が高い。音も大きそうだし、家に置くスペースもないし…。家で練習できないのはつまらないなぁ」ということに気付いたのだ。

ファミレスでバイトして貯めたお金で買ったのはメーカー不明(ヤマハかも?)のパッシブ・プレシジョンベース。それを難波のCD屋さんの楽器コーナーで買ったわたしは革のソフトケースにぶら下げて早くもミュージシャン気分で家路についたのであった。

最初に練習した曲はスモークオンザウォーター。一緒に買った教則本に譜面が載っていたのだ。当時はまだピック弾きだった。

バンドのほうも毎週軽音楽部の部室に集まってはレベッカの曲を練習していた。そうしたある日、ギターのBちゃんの発言がわたしにカルチャーショックを与えたのであった。(明日に続く)

2004/08/08 回顧録その2

高校入学当時、流行っていたのはレベッカやプリプリのようなバンド主体のポップ音楽だった。大阪ではなぜか放送されなかった「イカすバンド天国」とかいう番組のおかげで中高生の間ではバンドブームなる現象が起こっていたのだ。ミーハー(←の語源って何?)なわたしはバンドブームにのるべく、同じクラスのバンドに興味のある子達とバンドを組むことにした。

メンバーは、ルックスのよさでボーカルの座を射止めたAちゃん、中学からクラシックギターを嗜んでいるBちゃん、そしてまだ担当の決まっていないCちゃんとわたしである。

Cちゃんとわたしに残されたパートはベースとドラムであった。どちらかといえば目立たないパートである。どっちがどのパートをするかしばらく悩んでいたが、わたしはあることに気が付いた。

「わたしベースにするねー。」「え?いいのん?」

Cちゃんはベースは地味すぎてイヤだったみたい。わたしは何に気付いてベースを選んだのであろうか。それは明日の日記にて明らかになる!!(右の絵はレベッカのNOKKO)

2004/08/07 回顧録その1

しばらく忙殺されていて、なかなか絵日記がかけなかったので代わりに10話連続でわたしがベースをはじめた頃の話を振り返ってみようと思う。

2004/08/06 無題

すぃんくぅなずすらぶすわってぃがっとぅどぅー♪おーだーたい♪うぇるべとぅぎゃざかず♪

2004/08/05 無題

わなわすとぅー♪どんちゅびぞくぅーるぅー♪

2004/08/04 無題

あぅうぉびゆぉめーん♪

2004/08/03 自転車事故

帰宅中に自転車事故を見かけた。横断歩道(信号は青)を渡ろうとしている中年男性に自転車で車道脇を通り抜けようとした青年男性の自転車がぶつかったのである。

中年男性が怒って当然と思っていたが、「キミ大丈夫か?」と衝突の勢いで吹っ飛んだ青年男性を気遣っていた。中年男性のほうが痛そうな感じだったのになー。

2004/08/02 スイカとワイン

友人のおすすめによりワインをスイカにかけて食べてみた。これが結構美味しい。スイカの甘さが引き立ち、葡萄ジュースのような味になるのだ。

2004/08/01 PL花火

PL教団の教祖祭として行われる花火を観にいった。PLの花火といえば関西圏ではもっとも有名なものだと思う。

10万発以上の花火が1時間の間に連発する様には圧倒される。他では1発づつもったいつけながら打ち上げられる大玉をおしげもなく何十発も同時に打ち上げるので、その明るさは半端ではない。

右の絵は最後のクライマックスシーン。ぜんぜん花火に見えないのだ。なにかの施設が大爆発を起こしたような光景である。多分百発以上の花火を一気に打ち上げているのだろう。大げさでなくあたりは昼間のような明るさになるのだ。だれでも歓声を上げずにはいられないだろう。

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